過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*I.南部史跡をめぐルート*②

高福寺


真野山高福寺。
この辺りは万葉集に「いざこども 大和へ早く白菅の 真野榛原手折りてゆがむ」と詠まれているので真野山の山号をつけたのでしょう。
真宗佛光寺派の末寺で、1333(正慶3)年の創立とされています。
今から500年も昔、もともと80戸余りの村に大日寺、傳(田)福寺、薬師寺、安養寺の4寺がありましたが、お互いにいがみあっていました。
そこで何とか村をひとつにまとめようと、高福寺を村の中心の寺と決めて、他の寺はそのもとで協力をしていくことで落ち着いたということです。
大正の初めには西尻池村の所有地であった蓮池が市に買収され田地が次々と宅地になるなど、村が裕福になったのを機会に、壮大で美しい大伽藍を建立しました。
しかし、昭和20年6月5日の大空襲により惜しくも焼失してしまいました。
終戦後まもなく寺院の再建にとりかかり、大阪芸術大学学長の作庭である涅槃の庭をはじめ、「悠々亭」「瑠璃菴」「一如菴」などの様々な茶室を有する趣のある寺院として復興しました。
すばらしい日本庭園を持ち、静かな雰囲気をかもしだしているお寺です。


苅藻駅(神戸市営地下鉄)


尻池街園

園内の万葉歌碑


高松橋


八尾善四郎の像


神戸の明治の3大土木事業の1つといわれる兵庫運河の開通に尽力した八尾善四郎氏をたたえる銅像です。
戦時中の金属供出により持っていかれそうになりましたが、地元の方々の懇願で供出を免れたそうです。


徳本上人六字名号石


工場の間の路地を入ると、その奥にまつられています。
1823(文政6)年に駒ヶ林の地に来た徳本上人は、その当時 鵯越に出没して旅人を悩ませていた悪者を、仏教の力によって六字名号石を建て、その下に封じ込めたと言います。
自然石の六字「南無阿弥陀仏」は徳本上人独特の蔦文字で、熟視すれば自然と頭が下がります。


海泉寺


1289(正応2)年、漸岸覚俊(ぜんがんかくしゅん)和尚が師である法灯円明国師(ほっとうえんみんこくし)を勧請開山として建立されました。
1924(大正13)年、堂の町(現駒ヶ林町5丁目)にあった大堂(阿弥陀堂)を移築し本堂としました。
境内には、湯川秀樹博士の全人類の幸福を祈る鐘など、湯川氏にまつわるものがあり、また、青山幸利公の報謝碑、慶長年間の逆修碑が立てられています。
※逆修:生存中に死後の仏事を修すること。予修ともいう。


駒林神社


御祭神は猿田彦・応神天皇・八幡大神・左義長の神様、厄除さん。
この神社には、988(永延2)年に始められた古い左義長の行事があって、壮観を呈したことが「摂陽落穂集」にものっています。
境内の稲荷社の玉垣に往年の映画スター「片岡、大河内、山田、入江」等があるのは面白い。
また歴史上では、足利尊氏が戦いに敗れ西国に下るときに この神社に参詣して、社前の駒ヶ林の浜から乗船したとも伝えられています。
現在の社殿は、1924(大正13)年に建てられましたが、放火にあい、さらに再建したものです。


平忠度腕塚、平忠度胴塚 *A.源平史跡めぐルート*③ - 過去旅*神戸から


満福寺を経て


大国公園 *E.商店街や港に行ってみルート* - 過去旅*神戸から へと歩き


JR鷹取駅、ゴールです。
            
撮影:2015年1月10日