過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*夙川*桜道通って酒蔵へ②

香櫨園駅、43号線を越えて、夙川オアシスロードを通ります。

『西宮市立郷土資料館』を東へ


『国葬43号線を過ぎ少し歩くと、西宮市立郷土資料館があります。
西宮が海浜の一集落にすぎなかった古代から中世~近代への変遷が模型で展示されています。』


『 』内 文章は当時のまま記載のため、今のものと異なります。


コープが見える角を 建石筋へと進みます。


県立西宮香風高校の前を通って、


堤防にある階段を上る。


御前浜公園


トイレの場所を示す巨大看板。


『旧西宮砲台跡』


『銀杏並木の建石筋を海に向って進むと、堤防に行き当たり、堤防を越えると、目前に砂浜と入海が広がる御前浜公園。
浜辺に建つ旧西宮砲台跡は幕末の頃、黒船来襲に備えて勝海舟の指導のもとに築造されたものです。
石造りの高さ12mの砲台は、完成後に明治維新を迎えたため使われることのないまま残っています。』


少し波打ち際で休憩をして、元 来た道を戻ります。


臨港線を東へ進み、


『酒ミュージアム記念館』(白鹿記念酒造博物館)


『来た道を戻り、臨港線を右折し、直進すると、道沿いに「酒ミュージアム」酒造館と記念館があります。
 酒蔵館は明治2年築の酒蔵で、明治時代の酒造りが紹介されています。
記念館には、お酒と文化の関係や酒の流通を紹介する酒資料館、桜の保護・育成に尽力した笹部新太郎翁のコレクション笹部さくら資料室があります。』


『酒ミュージアム 酒造館』
札場筋線を北へ進み、国道43号線を越え、3筋目を左へ折れると、西宮中央商店街。


賑やかな この通りを まっすぐ西へ行くと西宮えびす神社に出ます

『西宮えびす神社』の手水舎


『札場筋線を北へ進み、国道43号線を越え、3筋目を左へ折れると、西宮中央商店街。
賑やかな この通りを まっすぐ西へ行くと西宮えびす神社に出ます。
ここは各地の戎神社の総本社で、境内の森は天然記念物。
鬱蒼とした樹木、静けさに心が安まります。』


本殿。


えべっさん筋を北へ進みます。


『傀儡師古跡』


『神社前のえべっさん筋を北へ進み、高架をくぐると、すぐ左にちょっと異様な胸像があらわれます。
その昔、この地に多くの傀儡師(人形操り)が住んでいた故跡だとか。
そのまま国道2号線に出て、西へ進みます。』


<傀儡師 古跡>
この付近は昔 産所といわれた所で1690年頃には40軒程の傀儡師(人形操を業とする者)が住んでいた。
傀儡師は遠く平安末期に現れ傀儡子・木偶(この偶の字は、現地では「人編に禹」まわし 人形まわしなどと呼ばれ諸地方を巡廻興行していたが室町時代にはいると、その一部が この産所の地に住みつき西宮神社の雑役奉仕のかたわら 神社のお札をもって諸国をめぐり お得意の人形を躍らせながら ご神徳をひろめた。
1590年頃には その人形芸が「えびすかき」又は「えびすまわし」といわれて全国的にしられるようになり たびたび京都の宮廷で天覧を受けるまでにもなった。
さらに その後 発展して淡路の人形座や文楽人形浄瑠璃芝居へと成長していった。
しかし1850年ごろから彼らは おいおい この地からなぜか姿を消してしまった。
おそらくは世相の変遷や好みの変化によるものと思われる。
傀儡師らは永らく、この産所の地に住み祖神と信ずる百太夫を崇神して神社にまつり守護神としたが その社は産所の地が1840年頃に衰微するに至った時すぐ近くの西宮神社の境内に移されて現存している。    -看板よりー


<人形操り發祥の地>
傀儡師は一名くぐつ師とも云い人形まわしのことであります。
現在も この地を産所と云いますが 中世以来 西宮ゑびすさまに係わる人形まわしの一団がこの付近に定住し傍ら全國津々浦々に人形をあやつりながら戎神の神徳をわかりやすく説いて廻りました。
室町時代の末には京都の宮廷にも参入して上覧に供したことが屡々記録に見え また こゝの人形芝居の小屋へは尼崎城主松平候の息女たちも度々見物に来 当時一般大衆に歓迎されて なかなか盛大であったのが幕末の頃から衰微して遂に惜しくも消滅してしまいました。
西宮から操の技を傳えて云われている淡路や大阪文楽座の人形浄瑠璃は わが國固有の傳統芸能として尊重され今日にいたってるのであります。  -碑よりー


銀行の角を西へ曲がり
『夙川橋から桜並木の夙川公園を北へ歩くと夙川駅へー』


夙川駅に戻って、ゴールです。


コース 約7.6km


次は、「夙川・苦楽園口駅」です。