過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*南方*南の方は血沼海➀

地図は 最近のものなので、歩いたコースと異なる場合があります。
駅名や建物名などは 当時のまま記載します。
『 』内 文章も当時のまま記載のため、今のものと異なります。


今回 副題が おどろおどろしいです。


『血沼海(ちぬのうみ)
南方という地は、「古事記」の中つ巻・神武天皇一・東征に次のように出てきます。
南の方より廻りいでましし時、
血沼海に至りて……
古代、ここは河内湖と血沼海(茅渟海〈ちぬのうみ〉=今の大阪湾)をつなぐ水路の南方の岸であったとされます。
かつては低湿地が広がり、水田地帯であったそうです。
住宅が建ちはじめたのは、第二次世界大戦の後のことで、昭和39年(1964)、新幹線が誕生し、新大阪駅がつくられてから、次第に今のような都市に変貌していきました。』


※茅渟海とは、和泉(いずみ)と淡路の間の海の古称、現在の大阪湾一帯のことだそうです。


南方駅を南へ出て


新淀川大橋の手前を 淀川沿いに右折します。


『淀川河川公園』


『南方駅を出て、新御堂筋沿いに南へ歩くと、すぐに淀川に行きあたります。
その広い河川敷は新淀川大橋をはさんで、上流側は野球のグラウンド、下流側は広々とした公園になっています。
下流の公園の方に出ると、空間のその広がりは都会生活ではなかなか見つけられない大きなものです。
水平には淀川の広がり、垂直には大空の広がり、ゆったりとこの大空間につつみこまれながら歩くと、しばらくは何もかも忘れて、気持ちがやわらかくなってきます。』


この日は、地域(自治会? 子供会?)対抗の大凧揚げ大会が開催されていました。


階段を下りて


信号を渡って、マンションの角を左折します。


『正通院』


『淀川河川公園を600mほど進み、堤防にあがって信号を右に折れて行くと、正通院があります。
江戸時代の中頃の延享3年(1746年)に建てられた曹洞宗のお寺。
大坂出身の画家、蔀関月という人の墓がこのお寺にあります。
この人は「伊勢参宮名所図会」「山海名産図会」「近江名所図会」などを描いており、和漢の古蹟を研究し、法橋上人位という僧位を与えられています。
この僧位は、当時、医師や画家などにも与えられていましたが、明治6年(1873年)に廃止となっています。』


正通院を出て、次の角を左折


木川南小学校の次の信号を左へ


16号線(西中島2交差点)へ


阪急京都本線を越えます。


つづきます。


撮影:2012年1月15日