過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*須磨離宮公園*③

花しょうぶ園
「6月に入ると、花しょうぶ園は次々と豪華な大輪の花に埋もれていきます。
紫色の「長井小紫」「栄紫」、うす紫の「葵の上」や藤色の「清少納言」、可憐な白色の「明石」、そして うすピンク色の「児化粧」や白に紅紫の覆輪が入った「初紅」など、40種約3,000株の花しょうぶが咲き誇ります。
見頃となる6月上旬~中旬には、花しょうぶ鑑賞会を催します。」


新池


「天皇の階段
噴水広場の南斜面には「須磨離宮」(武庫離宮)時代に作られた階段が数多く残っています。
宮内庁には全42冊の『武庫離宮新築工事録』や『武庫離宮沿革史』など膨大な資料が保存されています。
当時の図面から、現存する武庫離宮時代の園路が推定できます。
この階段は、天皇陛下が一歩一歩、歩み易いよう、踏み石を一段一段互い違いに組んだとも噂されています。
ちなみに階段の下に続く池『新池』は、離宮時代以前にあった、西本願寺・大谷光瑞氏の『月見山別邸』時代に、既にあったことが分かっています。」


月見台休憩所


「月見台と傘形四阿舎(あずまや)
この地を月見台と称する旧 武庫離宮建造の際、かねてより須磨の名勝とされていた在原行平ゆかりの「月見の松」(三幹の老松)付近に、石灯篭や傘形四阿舎を建てたことによります。
在原行平は古今和歌集や源氏物語にも登場する平安期の歌人で、9世紀半ばにある事情から都を離れて須磨にわび住まいを致しておりました。
秋の夜のつれづれに度々月見に訪れた裏山が、後世に月見山と名づけられたそうです。
古来、月見の名所は静かな水面に月が映える眺望の良い場所が選ばれ、この地も『遠く波間に淡路島を望む庭園第一の景勝地』と記録されています。
四阿舎の屋根は六角形の竹穂葺きで作られておりましたが太平洋戦争の空襲で焼け落ち、立ち木に似せた青銅鋳物の支柱のみが当時のまま現存しております。
この月見の名所を復活すべく、四阿舎の復元や周辺の樹林整備を近く行う予定です。」


月見台からの眺望


在原行平 月見の松跡


「鞍馬産自然石灯篭
『武庫離宮新築工事録』によると、『須磨離宮』(武庫離宮)造営時には二基の石灯篭が設置されました。
この灯篭はそのうちの一つで、傘形四阿舎や周囲の樹木、御殿と調和するよう配置されました。
鞍馬石には京都市北部の鞍馬から産出する本鞍馬石や、丹波地方より産出する丹波鞍馬石、山梨県産の甲州鞍馬石がありますが、鞍馬産と記載されていることから本場ものと推定されます。
本鞍馬石は地表下にあるものを掘り出して採取しますが、今日では良質のものの産量が減りました。
京都を代表する石で、昔の庭ではこれを使うことを誇りとしていました。
この灯篭は御殿の南東に位置しますが、もう一基は御殿の南西側に設置されました。」


「須磨涼し 今も昔の文の如 青畝」


「潮見台(腰掛と積石手摺)
『須磨離宮』建造当時に築かれたベンチと手すり。
半楕円形の腰掛は小豆島産の花崗岩が用いられ、手すりは小豆島産の花崗岩で石柱を建て、その間に割栗石の乱積みを施しました。
須磨離宮の庭園設計者・福羽逸人は、西洋の宮廷庭園技術を日本に精力的に取り入れました。
この石造物も欧州の城壁を思わせるデザインとなっており、古いモルタル目地も欧風的です。
この『露石(物見台)』からの眺めは、『遠く紀州海峡及び紀泉半島を眺め、西南は鉢伏山脈より淡路島を望み、眼下に須磨海浜一円を俯瞰し、眺望佳絶』と表現されています。」


中門広場


<須磨離宮公園の前身は、大正3年竣工の武庫離宮です。
御殿は戦火により焼失してしまいましたが、中門とそれに続く白壁はそのままの姿が残っており、往時を偲ぶことができます。>


レストハウス ”花離宮”で


お茶休憩


噴水のライトアップを待ちます。
日没予定時間7時5分、少しずつ灯っていきます。


暮れかけてきました。


月見台から撮った夜景


ゆっくりしたかったけど、ここまでです。




次は、「須磨海浜水族園」です。