過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*高田屋嘉兵衛翁記念館*

「英知と良心と勇気の人、高田屋嘉兵衛は明治6年(1769)1月1日、ここ都志本村で生まれました。
幼名菊弥の頃から海に親しみ、新天地を求め、長じて郷里を離れ、やがて蝦夷地に渡り開発に力を注ぎます。
また困難な日・ロ紛争解決には献身的に尽力するなど、59歳この地で生涯を終えるまでの向上心、工夫、勇気ある行動は今に至るほど高く評価されています。
当館はみなさまにその遺品や史料を通じ、在りし日の翁の偉業を偲び、その心にふれて頂きたいと願っております。
ありがとうございました。(ゆっくりとご覧下さい)」入館券より


館内撮影禁止


記念館に隣接した高田屋嘉兵衛屋敷跡広場には、五色町玄関としての機能があり、サクラ・マツ・ツバキなどを新規植栽・樹木治療して緑地空間として再整備がされています。


神戸にもゆかりがあり、嘉兵衛は22歳の初夏、生まれ故郷の淡路の都志を出て、兵庫をめざした。
兵庫の西出町には堺屋嘉兵衛(都志出身で嘉兵衛が修行した和田屋の弟)が、下関廻船の船頭をしていた。
嘉兵衛は、堺屋の加護を受けながら、船乗りの修行をしつつ弟たちを呼び寄せた。
その後数年のうちに、辰悦丸を建造し「諸国物資運漕高田屋嘉兵衛」の看板を揚げ独立する。
嘉兵衛は兵庫西出町に本店を構えたが、現在、その場所を特定することは出来ない。
しかし、地元の人たちが検討した結果、竹尾稲荷神社の近くに「高田屋嘉兵衛本店跡」の碑を建立した。
また竹尾稲荷神社の境内には、嘉兵衛翁の顕彰碑が建てられている。
この地域の七宮神社には嘉兵衛翁の業績に関する資料や辰悦丸などの模型、守り刀が奉納されていたが、太平洋戦争により焼失してしまった。
また、国道沿いの鎮守稲荷神社の入口には高田屋が奉納した灯籠がのこされている。



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