過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*南あわじ市滝川記念美術館 玉青館*


玉青館について
「日本現代南画の第一人者、直原玉青画伯が国清禅寺『南あわじ市松帆西路689』を復興し、数十点に及ぶ ふすま絵を描かれました。
幼少の頃より、画家を志したことのある滝川弘氏『現在・開業医』が、国清禅寺のふすま絵を通してはじめて南画の素晴らしさを知り、直原画伯の人柄に魅かれていきました。
この二人には日々の生活を、社会・文化・教育に寄与していくという共通点がありました。
直原画伯は、国清禅寺の開山廟の土地を公共のために利用できないものかと旧西淡町の申し出ていました。
それを知った滝川先生が、郷土に緑のある直原画伯の美術館を建て、直原芸術を後生にまで継承し、また地域文化向上をはかりたいと申し出があり、池に面し、緑深く、三原の平野を一望できるこの地に、日本ではじめての南画の美術館、玉青館が完成いたしました。」


南画について
『南画は中国唐時代の王朝に仕えた詩人王維が、机辺の水と墨とで詩意を画に表したのが始まりです。
後に、職業画家の絵具による写実的な画風を北画とし、水墨を主体とした精神派の画を南画と称したのでした。
現今の中国においては、この伝統を国画として絵画芸術の中心にしています。
日本に水墨画が伝来したのは、室町時代の禅僧達が中国に留学し禅画として持ち帰ってきたものですが、南画『文人画』が到来したのは、徳川時代上期、長崎の黄檗寺院に住持していた、中国福州の僧逸然が隠元禅師を日本に迎え、併せて明代文化の最たる南画をはじめて日本に定着させたのです。
東洋画の枠としての南画は、自己の内容を高め、貴賓と個性がある作品を求めるものであり、その後、池大雅や与謝蕪村、浦上玉堂、田能村竹田、富岡鐵斎などの名家を生みましたが、一時、中国の模倣に落ちた時期もありました。
現代は南画本来の精神に立ちかえり、水墨を骨子として色彩も用い、時代性も個性もある現代南画の創造に心枝の精神を続けるとともに、物質文化の弊害より心の時代へと移りつつある世界の動向に応え、美と平和に寄与していきたいと思っています。(直原玉青)」


エントランスの天井に、大きな「雲龍図」があります。
■玉青館は、1991年(平成3年)にオープンしました。
  雲龍時は当時87歳だった直原玉青画伯が一晩で描き上げた作品です。
■形→正八角形  対角線(直径)の長さ →およそ5メートル
■紙に描いた水墨画です。
  墨と水を使って、濃い色、薄い色だけで天空の龍を表現しています。
  龍の周りの白い雲や稲光りは、白い絵の具を塗っているのではありません。
  ぬり残した紙そのものの色です。
■龍は天から降りてくるときに宝珠と呼ばれる珠を持ってきます。
  よく見ると、天上の龍も宝珠を手にしています。
■直原玉青画伯は1904年8月1日、辰年生まれです。
  玉青館のほかに、全国6カ所のお寺に龍の天井画を描いています。
  2005年9月30日に101歳で亡くなりました。


龍は、9種類の動物に似た姿をしています。
①頭   (ラクダ)
②首筋  (蛇)
③角   (鹿)
④手のひら(虎)
⑤耳   (牛)
⑥鱗   (鯉)
⑦爪   (鷹)
⑧目   (兎)※鬼という説もある。
宝珠 中国で一番美しい珠の一つとされ、望みを叶えてくれる珠とも考えられていたようです。
腹 (蛟 みずち)、龍に似た姿の伝説上の動物。
成長すると龍になるという説もある。
他にも 龍にまつわる秘密などがわかるので 来館してみてはいかがでしょうか?


館内は撮影ができなかったので、


館から外を撮りました。


次は、「徳島市立徳島城博物館」です。