過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*三田市旧九鬼家住宅資料館*②

設計者である九鬼隆範が使っていた測量用の品が展示されています。


九鬼家は、九鬼水軍として有名な鳥羽城主・九鬼嘉隆の(信長に仕え石山寺合戦に鉄甲船、秀吉に仕え文禄の役に出兵、関ヶ原で西軍につき答志島で自害)息子である守隆の死後(関ヶ原で東軍 加増5万6千石)四男・久隆が相続争いの結果、鳥羽から三田へ(3万6千石)移ってきたのが この三田藩九鬼家の始まりです。
(三男・隆季(たかすえ)は 丹波綾部藩主)


鳥羽城主であった嘉隆とその子・守隆は、戦乱の世に お家が途絶えないように関ヶ原の戦いで敢えて敵対する事を選んだようです。
その後、東軍側の守隆が 父の助命嘆願に動いたようですが、お家を守るために嘉隆は自刃します。
四男・主殿助、五男・五郎八も相次いで自刃。


江戸幕府は、諸大名の戦力や政財力を弱めるために 大型船の所持を禁止。
所持していた大型船を没収、その受け取りを守隆が任じられ 日本最後の水軍としての活動が終焉します。


↑ こちらは復元ではなく、一般の方が寄贈した ”九鬼水軍 日本丸”


2階への階段を上り


洋間



つづきます