過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*A.源平史跡めぐルート*③

長田区と須磨区の区界を南へ、千歳公園を回ってさらに南。水産会社の建物の南隣に

平忠度(たいらのただのり)胴塚

平忠度は、平清盛の末弟で、文武ともに優れ、一の谷の合戦では西の手の大将軍でした。
しかし戦いに敗れ、武者百騎ほどを連れ落ちのびていたところ、源氏方の岡部六弥太忠純(ろくやたただすみ)に追いつかれ組み合いとなりました。
力持ちの忠度は六弥太の供の者が駆けつけ忠度の右腕を切り落としてしまいました。
忠度はこれが最期と思ったか、座って念仏を唱え始め、六弥太は後ろから近寄って忠度の首を落としました。
その時はその侍の名はわかりませんでしたが、箙(えびら)に結び付けられていた文・”旅宿(りょしゅく)の花”から薩摩守忠度とわかったのです。
 忠度が討ち取られてと知り、敵味方とも涙を流さぬ者はいなかったと「平家物語」には書かれています。
石碑(阪神・淡路大震災により倒壊)には、「正四位薩摩守朝臣忠度碑」と書かれてありました。

駒ヶ林保育所の前に道を通って、角にこの看板がある路地を入ります。

平忠度腕塚


市地域史跡。
駒ヶ林の細い路地を入ったところにある小さなお堂です。
忠度の最期の場所がどこであるのかについては何も書かれていませんが、長田区内の腕塚と胴塚とは別に、明石市にも忠度塚と腕塚神社があります。
どちらが本当か決め手はありませんが、忠度の死を悼む心と、ここへ参れば腕・腰の痛みが治る、という信仰があったことを物語っています。
忠度の墓と腕塚が一組になって、しかも2ヶ所あるというのはおもしろいのではないでしょうか。

駒ヶ林駅、ゴールです。


撮影:2014年12月21日