*B.北部・中部史跡めぐルート*①
丸山町3丁目バス停、スタート。
階段を下りて、コープの次の角のカフェを右に入り、西丸山橋のそばに
丸山顕彰碑
苅藻川にかかる檜川橋より下流の、西丸山橋の横に阪神大水害で殉職した警官の慰霊碑がひっそりと建っています。
阪神大水害では、長田署(旧林田署)の駐在員だった故福田秀蔵巡査部長が、最後まで苅藻川周辺に残って住民に避難勧告を伝えていましたが、次男とともに土手の決壊に巻き込まれ亡くなりました。
その死を悼み建立された慰霊碑で、水害の教訓を今に伝えています。
バス道に戻り南へ下りて、
丸山衝上断層
1932(昭和7)年に京都大学の先生が発見したもので、学術上貴重な断層であることから、神戸市内でただひとつ、国の天然記念物に指定されています。
百万年前~数十万年前にかけて、現在の兵庫県南部に断層運動が起こり、六甲山脈ができました。
この断層運動を示すものが丸山衝上(しょうじょう)断層で、今から一億九千万年前の中世代初期にマグマが地殻に貫入してできた六甲山塊が、その上に推積してできた新世代第三起層の上に衝き上げ、新しい地層と古い地層とが上下逆になるという大規模な地殻変動が起きたことを示しています。
断層は六甲山塊北側に一大断層があって、その一部がこのあたりに露出して見られるものですが、実は丸山衝上断層とは数か所の露出部分を指して言う名称です。
明泉寺・平知章の墓 を過ぎて
(*A.源平史跡めぐルート*① - 過去旅*神戸から で紹介)
滝見橋を渡り
(*高取山のふもと* ① - 過去旅*神戸から で少し紹介)
水天宮
源平の合戦で亡くなった安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼がまつられています。
この社は1914(大正3)年に建てられました。
それまでは名倉小学校のあたりに名倉池という池があり、その角に水天宮の祠があったといわれています。
★天神山:天神山というのは、長田神社の神がもと この山にまつられていたと言い伝えられているからの名だそうです。
それは長田の神と同時に祀られたという西宮の広田神社が、御手洗川の上の高隅山に、また、生田神社の神が、はじめは苧(お)川の上の砂山(いさごやま)に、というように、いずれもふもとに川のある独立した丘を選んでいることから、天神山にも西に小川があるので、推察された説のようです。
名倉小前のバス停を西へ
平盛俊塚
(*A.源平史跡めぐルート*① - 過去旅*神戸から で紹介)
第一宮川橋を渡って 長田墓地。
撮影:2014年12月28日