過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*三田歴史資料収蔵センター*

三田市歴史資料収蔵センター


「歴史資料収蔵センターは、三田の歴史と文化に関する資料を集め、保存・活用し、市民の文化向上をはかるために平成7年7月に開館しました。
おもな仕事は、埋蔵文化財、民俗文化財などの資料整理、保存、研究、展示公開、体験学習の講座などを行っています。
三田市の歴史に触れ、見て、聞いて、感じて、学ぶ郷土学習の場として広くご利用ください。」


館内は、三田の偉人 川本幸民(1810~1871)についての経歴や偉業が展示されています。


「蘭学者、日本の化学の先駆者。
摂津国(兵庫県)三田藩医 川本周安の三男。
名は裕、幼名敬蔵、通称周民のちの幸民、号は裕軒。
1829年(文政12)藩命により江戸の蘭医 足立長雋(ちょうしゅん)に学び、翌年 坪井信道(しんどう)に入門して蘭語を修めた。
33年(天保4)藩医に任ぜられて江戸に住まい、35年青地林宗の三女秀子と結婚。
36年刃傷(にんじょう)らしき事件のため藩邸に幽閉されたのち浦賀に蟄居(ちっきょ)したが、41年江戸に戻り、医業と蘭学研究を続けた。
51年(嘉永4)から56年(安政3)にかけて『気海観瀾(かんらん)広義』15巻を翻訳刊行し、岳父林宗の『気海観瀾』(1827)を大幅に増補して、天文、物性、科学、熱、電気、光などの物理現象を解説した。
また56年ころ『兵家須読舎密(せいみ)真源』訳稿を完成。
これは砲術家のための実践的化学書であるが、原子論に立脚して定量的化学の基礎を述べたものである。
また化学薬品の製造やマッチ、銀板写真、ビール、電信機の試作など実際的活動をも手がけ、薩摩藩主 島津斉彬(なりあきら)の知遇を得た。
56年蕃書調書(ばんしょしらべしょ)教授手伝となり、59年教授職、60年(万延1)精煉方(せいれんかた)設置とともにその中心人物となった。
この間、初めて書名に化学の名を用いた『化学新書』を訳述し(1861完稿)、漢字の元素記号を用いて化学反応式を記した。
68年三田へ帰り、嗣子(しし)清一とともに蘭学と英学の塾を開いたが、70年東京へ移り翌年62歳で死去した。
幸民の訳著書によって幕末期に原子論的化学の体系的学習が可能となったことの意義は大きい」


学習室では、主に三田市内の小学生が体験学習をしています。


火おこしに挑戦したり、農具を使ってみたり、洗濯板で洗う体験をしたり、むかしのくらしの体験、古代の出土品を学んだり、勾玉の制作もされています。


2階の収蔵庫では、発掘出土した土器などを復元・修復をしています。


次は、「三木市立堀光美術館」です。