過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*須磨離宮公園*①

「約百年前、皇室の別荘である『須磨離宮』が建造されました。
総檜造り二階建ての御殿は、大正天皇や皇后、昭和天皇、満州国皇帝の溥儀も利用されました。
『各所に離宮・御用邸ありといえども、武庫の如き風景佳絶なるは無し』と、須磨離宮の庭園設計者・福羽逸人(ふくばはやと)は『回顧録』で述べています。
昭和20年空襲で御殿は焼失、進駐軍射撃講習場を経て昭和42年、離宮公園が正式開園します。」

「正門と亀甲形石積
正門と左右の石積は『須磨離宮』の表玄関を形作るものです。
門扉自体は新しいものですが、左右の門柱や六角形石の石積みは当時のものです。
天皇陛下は、これより南に伸びる離宮道(行幸道)を通って正門に到着します。
松並木のある離宮道も離宮造園と共に築造されたもので、今ある歩道である両サイドは一段低く、人民道と呼ばれていました。
正門から中門までの道を馬車道と呼び、中門横の車寄せで御車を降りられたようです。」


「馬車道
正門から中門広場までの道を馬車道と呼んでいます。
『須磨離宮』建造当時に設置されたもので、両側の縁石や山手に向って右側の石積みなどは当時のままです。
石積みは『花形石垣』と呼んだようです。
左側に列植してあるカイヅカイブキは、植えた当初は3~6尺(2m以内)でした。
その西の塀も離宮当時のもので、鉄筋コンクリート製です。」


「装石
装石とは十数個~数十個程の庭石を組み合わせて壮大な岩石が自然に露出したように施した石組みです。
『須磨離宮』建造の際に造られたものですが、つなぎのモルタルを肉盛りして彫刻的につくる西洋の美意識を導入したと考えられます。
須磨離宮の庭園設計者・福羽逸人は、新宿御苑や赤坂離宮等にも携わった人物で、西洋の宮廷庭園を見聞してその庭園技術を日本に精神的に取り入れました。
装石のような石組みはフランスでロカイユと呼んでいます。」


「阿利襪(オリーブ)
『須磨離宮』(武庫離宮)の庭園設計者・福羽逸人は、庭園装飾にふさわしく、かつ宮中行事に その実を利用できることから、オリーブの木を植栽しました。
同様の目的で、ピクルスの材料となるケーパーや、ピスタチオナッツを産する木なども植栽しました。(福羽逸人回顧録による)
福羽は明治10年代、神戸市中央区山本通にあった『神戸阿利襪園(オリーブ園)」の管理を勤め、日本最初の塩蔵果実を収穫。
明治後半にはオリーブ栽培の第一人者として、小豆島で指導や助言を行い、今日に引き継がれています。
福羽は造園界のみならず、ブドウやイチゴ・洋ラン等さまざまな植物を手がけ、園芸界においても先駆的な役割を果たしました。」


王候貴族のバラ園
<離宮であったことにちなんで、噴水広場と中門広場には王候貴族や芸術家、愛等の名前が付けられたバラが植えられ、花と香りが楽しめます。>


たくさんのバラが咲いています。


子供の森 冒険コース
<このコースは、国際海洋都市・神戸にちなんで海の冒険物語”宝島”を題材にしてつくっています。
冒険好きの少年ジムといっしょにみんなも、宝さがしに出かけてみませんか。>


1.さあ船出だ
から始まって


3.島々をめぐって
…など 木製遊具28基(全長500m・8,200平方メートル)を一巡しました。


クッキーチョコのソフトクリーム



つづきます