過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*神戸パールミュージアム*②


3.日本真珠会館
日本の真珠史を記憶する語り部
第二次世界大戦後、真珠の主な取扱業者だったユダヤ系の人々がアメリカへ移住。
米軍の将兵が帰国土産として養殖真珠を持ち帰ったことで、日本の真珠は輸出ブームを迎えました。
1949年(昭和24)には真珠取引の規制が緩和され、1952年(昭和27)に「真珠養殖事業法」が施行。
国の検査制度のもと、神戸と東京に検査所が開設されます。
この年、「日本真珠会館」は生まれました。
1956年(昭和31)には、創立3年目の「日本真珠輸出組合」が本部を神戸に移転。
日本の真珠の品質向上を目指して、世界へ輸出される真珠を検査し、輸出許可証を発行することが主な仕事でした。
戦前、日本の真珠の取引の8割を担った神戸は、国際的な真珠取引の中心として、戦後の真珠産業復興を引っ張ってきました。
1995年(平成7)の阪神・淡路大震災では多くの真珠会社が被災しましたが、幸いにも会館は難を逃れ、1週間後には再開。
復興後は、輸出真珠の検査義務はなくなりましたが、2007年(平成19)、真円アコヤ真珠は発明から100年を迎えました。
会館もまた半世紀を過ぎましたが、モダンな姿はそのままに、真珠の街・神戸のシンボルとして存在し続けています。


4.古き良きモダンな姿
日本真珠会館の意匠デザイン
「日本真珠会館」は兵庫県と関西真珠協同組合が官民共同で建設。
兵庫県庁舎は旧兵庫県立近代美術館を設計した県職員・光安義光氏が手がけた、鉄筋コンクリート造4階建ての近代建築です。
1階には黒御影石、2.3階にはブルーグレーのタイル、4階は全面ガラス窓の3層構造には、「国際環境のなかでは、官僚的ではない品格のある表現が必要」という設計者による近代建築の表現が集約され、抽象画のようなスチールドア、斜めに取り付けられた面格子、金属板曲げ加工の風除室…至るところにモダニズムの意匠が息づいています。
当時、ハイカラな神戸でも2台しかなかった全自動のエレベーターや、神戸で2番目の全館蛍光灯設備、日本初と言われるフルオートのベネシャンブラインドなど、先端の技術を採用。
真珠の検査選定に欠かせない遮光窓を東・南・北面に取り、直射日光を防ぐ庇を設けて、機能とデザインが質の高い融合を見せています。


他にも
5.真珠ができるまで
6.時代を彩る真珠
7.自然がはぐくむ輝き 等


風見鶏の館を模した真珠オブジェ


からくり人形


好きなアコヤ貝を選んで、アクセサリーを作りを体験しました。


中を開けるまで どんな色の真珠が出るか わかりません。
今回は、黄色みを帯びた真珠が出てきました。


採れた真珠に穴をあけて、パーツを取り付けます。


ブレスレット以外に ネックレスも選べます。


真珠入りドリンク (真珠の代わりにタピオカが入っています)
これは、ノンアルコールタイプ。(アルコールタイプもあり)


外では、早々にルミナリエが点灯。
まだ 4時半でしたが、混雑緩和の為 抜き打ちで点灯させることもあります。



次は、「ポートアイランド散歩」です。