過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*I.南部史跡をめぐルート*①

西代駅、スタート。


蓮池跡 *B.北部・中部史跡めぐルート*② - 過去旅*神戸から


西代の楠 *G.自然にふれルート2*② - 過去旅*神戸から


シューズプラザ


「くつのまち長田」の情報発信拠点として、2000(平成12)年に建設されました。
1階のフロアには長田シューズショップが並ぶほか、2階フロアには、足を採寸して靴を造るオーダーメイドショップもあります。
1階のギャラリーを活用して、くつのファッションショーなどを開催したり、地域ぐるみのイベントを開催するなど、まちの賑わい作りに一役かっています。


靴のモニュメントを東へ歩き


長田中学校の先を南へ


菅原匂いの梅旧跡

901(昌泰4)年、政敵藤原時平の中傷によって都を追われた太宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されることになった菅原道真は、京から九州への道中、順風を待つために大輪田泊に上陸しました。
そのとき、えも言われぬ梅の香がするので それを慕って西へさまよって行きました。
ちょうど苅藻川が海に注いでいるすぐ東、真野の継橋という1つの橋が架かっていて、この橋の東に1本の梅の木が今を盛りと咲いていました。
それを見た道真は、「風寒み 雪にまがへて咲く花の 袖にぞうつれ 匂う梅の香」という和歌を詠んだと言われています。
これにちなんで、近くには梅ヶ香町という地名もあります。


宝満寺・青山幸利報謝碑

臨済宗、本山京都南禅寺、本尊は大日如来、808(大同3)年 弘法大師がもと和田山の字寺山(現兵庫区和田山通付近)に開創、のち1180(治承4)年に平清盛が福原内裏増築のときに現在地に移したと伝えられています。
宝満寺金剛峯寺と呼ばれていましたが、後に、弘法大師は高野山に金剛峯寺を建てたので、こちらは金剛宝満寺と寺号と改めたそうです。
源平一の谷の合戦で伽藍の大部分が焼失しましたが、法燈圓明国師によって再建。
また、足利尊氏との関連も深く、後醍醐天皇に敗れ九州に落ちる際に本尊に武運を祈り勝利を得たこと、湊川の合戦で当寺に本陣を置いたこと、伽藍の修復および寺領を寄進されたことなどが見られます。
本尊である大日如来坐像をはじめ、重要文化財指定の寺宝が数多くあります。
境内は立ち入り禁止です。
             
撮影:2015年1月10日


<追記>
青山幸利報謝碑

宝満寺の山門横、地蔵尊と並んであります。
江戸時代初期、尼崎城主であった青山幸利は善政をしき、池田、長田、東尻池、西尻池、駒ヶ林の村々で年貢を免除して農民を救ったと言われています。
この碑は村の人々が青山幸利と家老の天野八郎兵衛をたたえて各地に建てた碑の一つで、1684(貞享元)年に池床免除のお礼として建てられてました。
この石碑には上に笠が置かれていた形跡があります。
駒ヶ林の海泉寺にも存在します。
(境内敷地立入禁止のため、山門外より撮影2020年11月18日)