過去旅*神戸から

またリアル旅できるといいな

*崇禅寺~柴島*四十八の氏神様➀

地図は 最近のものなので、歩いたコースと異なる場合があります。
駅名や建物名などは 当時のまま記載します。
『 』内 文章も当時のまま記載のため、今のものと異なります。


崇禅寺駅


駅の北にある 交番沿いの道を進みます。


『崇禅寺』


『崇禅寺駅の北側の交番の脇を入って、まっすぐに歩いていくと、すぐに崇禅寺に行きあたります。
この寺は、今から1200年余り前、奈良時代の天平年間に、法相宗の行基菩薩によって創建されたと伝えられています。
 室町幕府は六代将軍足利義教公が播磨守護・赤松満祐に京都で殺害され、赤松一党が逃げ落ちる途中、義教公の首を当寺に葬り、その縁で時の管領・細川持賢が大伽藍と寺領を寄進。
以後足利義教公ならびに細川家の菩提寺となり、その時、曹洞宗に改められたそうです。
 義教公の首塚と並んで、敬虔なキリシタン信者の細川ガラシャ夫人の墓があります。
夫人は、石田三成勢が人質にしようと攻め込んだとき、忠実な老臣によって37歳の生涯を閉じました。
以来、今日まで、その婦徳を全うしたことへの尊敬と同情を集めています。』


細川ガラシャ夫人のお墓


日之出東公園


『中島惣社』の前を南へ


『崇禅寺を出て、小さな公園の横を西へ行くと、すぐに中島惣社の前に出ます。
先の寺もそうですが、ここも人影がなく、静かさがここちよいところです。
中島惣社由緒略記によれば「第三十六代孝徳天皇白雉2年(651)難波、長柄豊崎に都を遷された頃五穀豊饒を、當社に祈られ給い、田園数多く下し賜わり神領(境内地)となされた…」と記されています。
 現在の淀川区・東淀川区にあたる旧摂津国西成郡北中島および西中島地域四八個村の各氏神様を当社に合祀し、郷社中島惣社とし、各神社の親宮として地域住民の厚い信仰を集め、今日に至っています。
社域より弥生式の土器多数が昭和14年に発掘されています。』


啓発小学校の横を通って


飛鳥青少年会館の横に


アスカショッピングセンターがあるそうですが、更地になっていました。


阪急京都本線を歩道橋で越えて、線路沿いを西へ


くにじまテニスクラブの前を通ります。


つづきます。


撮影:2012年3月20日