*上新庄*天皇の離宮の跡が➀
地図は 最近のものなので、歩いたコースと異なる場合があります。
駅名や建物名などは 当時のまま記載します。
『 』内 文章も当時のまま記載のため、今のものと異なります。
上新庄駅を出て
南へ歩きます。
豊新小学校の前を通って、信号の先を南へ進むと
『定専坊(じょうせんぼう)』
『駅を出て南へ歩き、豊新小学校の端を右へ入って、つきあたりがかぶと公園。
公園のすぐ先の信号を渡ると定専坊へはすぐです。
定専坊は、もとは行基が創建した西光寺です。
後に蓮如上人によって定専坊と改名されたと伝えられています。
楠木正成の孫正勝と正盛、盛信の五輪塔が境内にあります。
ここの大梵鐘は、もと石山本願寺にあったものといわれています。
石山本願寺は、大坂城にあった大寺院で、その勢力を恐れる信長によって攻略され、11年間に及ぶ石山合戦によって焦土と化しました。』
左に折れ、信号を右に曲がって、豊里郷土資料館
『豊里中央公園』
『野球場もある緑の多い大きな公園です。
この公園の入口には、豊里郷土資料館があります。』
豊里小学校の次の角を右へ
『大宮神社』
『創立年ははっきりしませんが、第27代の安閑天皇がこの地へしばしば行幸され、天皇即位の2年秋、牛を放牧し、土地の発展を計られました。
その御徳を慕った人々が、安閑天皇を主祭祀としてお祀りしたものと伝えられています。
そして、この地は聖徳太子の伝承が多く、御神体の木像は聖徳太子の作といわれています。
実は、聖徳太子が四天王寺の建立を考えられた時、この地を選ばれましたが、ここは洪水が多く、やむなく今の天王寺に建立されたそうです。
一度はこの地にと決められたことから、大正14年までは西成郡天王寺庄と呼ばれていました。』
左へ曲がって、市営南大道住宅の前を進むと お地蔵さんがあります。
つづきます。
撮影:2012年6月10日